おりんの音は、ただの音ではありません。
その音に、何かを重ねるようにして、
人は手を合わせてきました。
言葉にならない想いを、音に乗せるのです。
祈りとは、本来そのようなものだったのかもしれません。
山口久乗は、四代にわたり、
仏具と向き合ってきました。
はじまりは、鋳物の技術にあります。
金属を溶かし、かたちにし、音を生み出す。
その営みは、音の鳴る道具をつくるだけでなく、
人の心に触れる音を生み出す仕事でもありました。
「久乗」という名前にも、
受け継がれてきた意味があります。
本家にあたる久太郎、久左衛門という名から、
「久」の一文字を受け継ぎました。
初代は「休乗」という名でしたが、
“休む”ではなく、“幾久しく”という意味を込め、
「久乗」となりました。
長く続くもの。
時間を重ねるもの。
その願いが、名前に込められています。

時代とともに、
祈りのかたちも変わってきました。
仏壇の前に座り、手を合わせる。
そうした時間は、少し遠いものになっています。
そこで三代目は、祈りを日常の中で行える道具を考えました。
特別な場所に限らず、身近なところで手を合わせる。
そのきっかけとして、おりんの音があります。
音を鳴らす。
その音に、大切な人への想いを重ねる。
久乗おりんの音は、
そのきっかけになります。
かたちにとらわれず、音に向き合う。
その時間に、祈りが生まれます。
私たちは、音をつくりながら、
祈りのかたちを問い続けています。
それは特別なものではなく、
日々の中にある行為です。
音に乗せて祈るということ。
そのあり方は、これからも受け継がれます。